2024年12月13日に福岡高裁の判決がありました。
札幌高裁、東京高裁に続き、以下のように述べて、同性婚を認めないこと(正確には、婚姻について定める民法と戸籍法の諸規定が同性のカップルを婚姻制度の対象外としている部分)を違憲としました。
【憲法13条に違反するか】
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 |
- 婚姻の本質は、両当事者が、互いに相手を伴侶とし、相互に尊属(自分より前の世代の親族)・卑属(自分より後の世代の親族)の関係のない対等な立場で、生涯にわたって共同生活をするために結合し、新たな家族を創設することにあり、婚姻は、人にとって重要かつ根源的な営みである。
- 婚姻の成立及び維持のためには、他者からの介入を受けない自由が認められるだけでは足りず、個人が社会から法的な地位を認められ、婚姻に対し法的な保護が与えられることが不可欠であるから、憲法13条は、婚姻をするかどうかについての個人の自由を保障するだけにとどまらず、婚姻の成立及び維持について法制度による保護を受ける権利をも認めていると解するべきである。この権利は、個人の人格的生存に不可欠で、裁判上の救済を受けることができる具体的な権利である。
- 1は両当事者が男女である場合と同性である場合とで何ら変わりがないから、2の権利は男女のカップルと同性のカップルのいずれも等しく有している。
- 同性婚を認める場合、実親子や養親子関係の成立等につき、現行と異なる法制度を要するとの見解もあるが、法律上の親子関係の成否や戸籍への記載方法等の問題は、法令の解釈、立法措置等により解決を図ることが可能なものであり、同性婚を制約する必要性や合理性を基礎付けるものではない。
- 同性婚を認めても、既存の異性婚カップルの権利や法的地位に何らかの侵害・制約が生じたり、異性のカップルの婚姻が妨げられたりするような事態はおよそ想定できない。
血縁集団の維持・存続といった目的からの婚姻への介入は憲法24条に反し、婚姻ないし婚姻制度についての宗教的な立場からの介入は憲法20条に反し、同性愛が疾患ないし障害であるとの考え方は既に過去のものとして排斥されている。
このように、現在では、同性婚を認めない根拠となってきた様々な要因は、憲法に反し又は不合理なものとして、ことごとく退けられており、同性カップルの婚姻を法制度として認めない理由はもはや存在しない。
同性婚に対する否定的な意見は少なくないが、これらは新たな法制度の登場に対する不安や違和感によるものとみられるが、これらは同性婚の法制度が整えられ、法的な地位が明確にされることで払拭されると考えられる。 - したがって、同性カップルを法的な婚姻制度の対象外とすることは、公共の福祉(憲法13条)により正当化することはできず、幸福追求権の侵害となる。
大雑把に言えば、各地裁判決は、同性婚を認めるか否か、どのような制度にするか、については、国民感情(要は、同性婚に対する否定的な感情や価値観を有する国民がいること)も考慮して、まずは国会で議論すべきであるから(立法裁量)、同性婚を認めないことは違憲ではない、ただ、異性カップルに認められる法的保護や公的承認の利益が同性カップルに全く認められていない点は著しい不平等で違憲(状態)、あるいは問題、などとしています。
これに対し、今回の福岡高裁判決は、憲法13条が保障する幸福追求権の1つとして異性カップルにも婚姻の権利を認め、これを制約(否定)することが正当化されるか、という発想をしたようです。札幌高裁や東京高裁には見られなかったものです。憲法13条は、憲法上の権利(人権)が公共の福祉によって制約されることを認めていますが、その制約が正当化されるためには、制約によって実現しようとする目的・利益が、公共の福祉に適う正当なもので、かつ、その制約に見合う重要なものである必要があります(比例原則と言われる考え方です。※1、2)。地裁判決で見られた「憲法上尊重すべき重要な人格的利益」ではなく、それよりも強く保護される「憲法上の権利(人権)」と位置付けられるならば、同性カップルの婚姻の権利を否定する理由として挙げられる目的・利益は、現在では、公共の福祉に適う正当なものとは言えず、また、同性カップルの婚姻の権利を制約できるほど重要なものとも言えない(※3)、ということになります。
※1 学問的な話ですが、福岡高裁は、公共の福祉を「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理」としています。しかし、これは既に時代遅れになった考え方で、現在は、公共の福祉はこの実質的公平の原理に限られないと解されています。福岡高裁の言わんとするところは、同性婚を否定する目的・利益が、人権である婚姻の権利に対抗できるほど重要なものでなければならない、というものとして理解すれば良いと思います。
※2 比例原則は、比較的最近憲法学でも有力になっている考え方ですが、法の一般原則であり、憲法13条もこれを前提にしていると考えられます。目的と手段(制約)の均衡(バランス)を要求するもので、具体的には、権利利益に対する制約が正当化されるためには、①制約は目的の達成に役立つものでなければならない(適合性)、②制約は目的を達成するために必要最小限でなければならない(必要性)、③制約によって失われる利益が得られる利益を上回ってはならない(均衡性・狭義の比例性)、というものです。目的が正当なものでなければならない、ということは当然の前提とされています。例えば、同性婚を認めると少子化につながるという意見が述べられることがありますが、同性婚を認めたからといって異性婚が減少するわけではないから、少子化抑止のために同性婚否定が役立つことはない、したがって、少子化抑止のために同性婚を否定することは認められない、ということになります。そもそも、人口政策のために人権を制約することは認められない、とも言えるでしょう(人口政策のために避妊や中絶を制約することが認められないのと同様です)。偽装結婚抑止なども同性婚を否定すべき理由として挙げられることがありますが、比例原則からして正当化することはできないでしょうし、平等の観点からも正当化できないでしょう(異性婚の場合には偽装結婚のリスクは甘受すべきリスクとされているわけだから、同性婚の場合も同様に考えるべきでしょう。そのため、偽装結婚のリスクを理由に同性婚だけ制約するのは不当な差別にもなります。)。
※3 地裁判決に見られる「国民感情」(要は、同性婚に対する否定的な感情や価値観)は、「偏見」や「嫌悪感」に過ぎず正当なものではないとまで明言していませんが、婚姻の権利を制約するに足るほどの重要性は認められない(制約により失われる利益の方が大きい)、ということなのでしょう。
【憲法14条1項に違反するか】
13条違反を認めるのであれば、当然、同性カップルのみ幸福追求権を制限されていることになるから、14条1項違反が認められるのは当然の帰結です。
【憲法24条に違反するか】
本件規定のうち同性カップルを婚姻制度の対象外とする部分が13条違反となるから、当然24条2項にも反するとしましたが、24条1項違反は認めませんでした。
しかし、個人的には、13条違反まで認めるのであれば、24条1項の「婚姻」には同性カップルの婚姻も含まれる、あるいは同項は同性カップルの婚姻も異性カップルの婚姻と同程度に保障しているとして、札幌高裁と同様、24条1項違反を認める方が素直(憲法の各条項の整合的な解釈)であるように思います。